洛東山科 毘沙門堂門跡 永観堂禅林寺 石山寺ライトアップ
2019.11.27 
永観堂禅林寺の歴史

 永観律師をさかのぼること、二〇〇年あまり。禅林寺は真言密教の寺として始まりました。八六三年、弘法大師の高弟・真紹僧都が、清和天皇から寺院建立の許可をもらい、禅林寺という名を賜わったのです。
 禅林寺が大きく発展したのは、永観律師の時代です。律師は、境内に施療院を建てるなど、恵まれない人々のために奔走。永観律師を慕う人々によって、禅林寺はいつしか、永観堂と呼ばれるようになりました。
 鎌倉時代に住職となった静遍僧都は、高名な真言宗の僧侶でした。お念佛をとなえるだけで救われるという教えに反発をおぼえ、自分のほうが正しいと証明しようと、法然上人の著書を開きました。ところが、いくら読んでも「間違っているのは自分では」と思わせられることばかりでした。ついに、静遍はお念佛の教えに深く帰依します。そして法然上人のまな弟子・証空上人を次の住職として招きました。
 証空上人は、すべてを阿弥陀佛にまかせきってとなえるお念佛の大切さを説き、「白木の念佛」と名づけて、人々に勧めました。それは、阿弥陀さまが私たちのような者でも一人残らず救ってくださることへの悦びの念佛といっていいでしょう。のちに、禅林寺は、法然上人を宗祖に、証空上人を派祖にいただく、浄土宗西山禅林寺派の総本山となりました。
 永観堂禅林寺は、はるか平安の昔から、称名念佛の根本道場として、阿弥陀さまの慈悲のこころを護り伝えています。
《永観堂パンフレットより》